【感想①】『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』| シリーズを一作も観たことない妻と観るスター・ウォーズ鑑賞会【第4弾】
嬉しいことに連休が多く、図らずとも家に引きこもらねばならない事件もあったこともあり、必然的に今月は映画鑑賞に充てる時間も多くなっている。
インプットに対してアウトプットが追いついてないので、映画の感想記事がどんどん後手に回ってしまうのも贅沢な悩みだ。
ということで観てから少々時間が経ってしまったが『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』について書いていく。
時系列は過去へ、そして主人公がルークからアナキンにシフトする本作は、いわゆる「新三部作」と呼ばれている(呼ばれていた?)シリーズ後半の第1作目。
あらためて見返して、シリーズの中でワタシは本作が一番好きだと感じた。
そんな本作について書いていくと、長くなるのが目に見えているのでこの記事も前回同様2回に分けて書くことにした。あしからず。
ネタバレありきで感想を書くのでまだ観てない方はご注意ください。
一言あらすじ
ジェダイは予言の子アナキンに出会う。
本作との出会い
本筋の感想に入る前にワタシと『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』の出会いを振り返らせてほしい。というかこの記事はそれで終わる気がする。
本作が上映されたのは1999年。旧三部作完結から16年を経て、ダース・ベイダーことアナキン=スカイウォーカーの過去が描かれる、ということで本作が世界的に話題になったことは想像に難くない。
ただ当時ワタシは小学2、3年生だったので、シリーズにおける本作の位置づけや重要性、公開されることの衝撃をそこまで理解してなかった。
旧三部作は父がビデオレンタルしてくれたのを観ていたものの、細かい設定や戦争の背景などは全くというほどわかっておらず、とにかく「ライトセイバーでのチャンバラかっけぇええ!」「ダース・ベイダー かっけえぇ!」「オレの中にもきっとフォースがあるんだ!」「アミダラの髪型めっちゃ変!」な映画だった。
なので話題になっている理由も「大人たちはスター・ウォーズの続きが出て喜んでるんだ」くらいに勝手に思っていた。今思えば間違ってはない。間違ってはないが重みが違うね。
さてそんなワタシ、実は本作を映画館で観ていない。(田舎育ちだったので映画館は近くになく、「映画館に行く」とい行為自体が割と一大イベントだった)
この作品とのファーストコンタクトは当時購読していた『月刊コロコロコミック』に連載されたコミカライズ版だった。
スター・ウォーズエピソード1ファントム・メナス―映画原作 (てんとう虫コミックススペシャル)
- 作者: ジョージ・ルーカス,麻宮騎亜
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1999/09
- メディア: コミック
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Amazonで検索してみるとめちゃくちゃ懐かしい。たしか途中までしか連載されず、雑誌上は未完のまま連載終了になったはず。
今でこそ『週刊少年ジャンプ』を購読し面白い作品は単行本を買うことでいつでも読めるが、当時読んでいたマンガといえばコロコロコミック1本だった。
しかもこちらはジャンプと違い月刊。必然的に次号が出るまでその月の刊を何回も読むことになる。なのでこのコミカライズも同じ話を何回もループした記憶がある。
とはいっても20年前のことなのでほとんど覚えてないのだが、アナキンに出会いポッドレースに出場するところまで読んだ気がする。
結局、映画本編を観たのはVHSが発売されてからだった。下記の記事でも書いたが、TVゲームの導入が遅かった我が家での娯楽はVHSをひたすら繰り返しみることだった。
結果的に本作は小学校時代をカウントすると、シリーズで最も観た作品になる。ただ前述したとおり小学生の頃はろくに背景や前提知識を抑えていなかったたので、今回改めて見直して色々と気づきがあった。
例えば戦争の背景。エピソード4~6の時には帝国とその独裁的支配に反発する反乱軍、という戦争の構図がわかりやすい。
一方で今回は時系列としては帝国ができる前の話。誰と誰が何のために戦っているんだろう?となるわけだが、観直すことでその疑問もスッキリ解消。
(シスの企みは置いておいて)表向きは貿易と税のことで争っていたとは知らなんだ。小学生の頃、音だけ聞いて全く頭でわかってなかった「つうしょーれんごー」が「通商連合」だったことも今更知り、恥ずかしい限りだ。
他にもクローン戦争勃発前なので、戦争の主力戦力がクローン兵ではなくドロイド兵であることなど、ちゃんとしたファンからすれば「そこ!?今更!?」ってツッコミたくなるような設定が多々あり、子供の頃慣れ親しんだ作品でも大人になって観返すってめっちゃ大事だなぁなんてベタベタ感情を抱くのだった。
特に驚いたのが、ダース・シディアス=パルパティーン議員というのが結構あからさまに示唆されてたってこと。
アミダラ女王に対して明らかに過剰で、かつ上滑りな言葉で心配を寄せる姿はいかにも怪しい。
極めつけはラストのクワイ=ガン・ジン埋葬中のヨーダとメイス・ウィンドゥの会話のシーン。
「シスは必ず師と弟子の2人組で動く。倒したのがどちらかわからんが……」的な会話のあと画面アップでフォーカスされるパルパティーン議員。完全に視聴者に隠す気ないやろって感じである。
この辺、勉強不足でよくわかってないのだがスター・ウォーズシリーズに明るい人からすると上映当時からダース・シディアス=パルパティーン議員というのは公然の設定だったのだろうか。
旧三部作上映時から、皇帝の人物背景や正体というのは設定集か何かで明かされていたのだろうか?その辺知っている方がいればぜひ教えてほしいです。
ということで、やはり長くなったので今回はこの辺で。次回はなぜ本作が一番好きなのかに触れつつ、本筋の感想を書いていく予定。