久しぶりに観始めたウルトラシリーズ作品『ウルトラマンタイガ』を観て思うこと | 光の巨人たる者ペラペラ喋んなよ!
令和という新時代をキッカケに、ウルトラシリーズの新作『ウルトラマンタイガ』を観はじめた。ダイナぶりにちゃんと観た、”最近のウルトラマン”の雰囲気に中々ビックリしたので、その感想を。
今日から『ウルトラマンタイガ』かー。なんとなく平成はダイナまでで止まってて、どうしても昔のばっか見てたけど、今回追ってみようかな。
— ありひと (@rihito_ymoymo) 2019年7月6日
ん?平成ウルトラマンでもないのか。。ガタガタ
ワタシのウルトラマン暦
前提として、ワタシのウルトラマン暦を事前に記しておきたい。読んでもらうとわかるのだが、まあまあのニワカである。改めて自分で整理してみても「ウルトラマン好き」を名乗るのは中々おこがましい……。ただやっぱりこの記事は書かずにいられなかった。
(「ニワカのくせに語るなぁ!」とご批判を受けても仕方ないとは重々承知なので、思うところがあれば、是非ご連絡ください。議論を交えつつ真摯に受け止めさせてもらいます)
時系列でツラツラと書いたら、それだけで結構長くなったので、箇条書きでまとめたものを先に載せておく。本題の主張だけ聞きたい方はそこだか読んで、次の見出しまで飛んでもらった方がいいかも。
VHSが実家にあって観まくった作品
- ウルトラマン
- ウルトラマンパワード
- ウルトラマンG←超大好き
- ウルトラマン物語
- 平成ウルトラセブン初期2作品
1回だけ観た作品(正直あんまり覚えてない)
- ウルトラセブン
- ウルトラティガ←リアタイ
- ウルトラダイナ←リアタイだったが途中まで
- ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT
ワタシがウルトラ作品に触れるキッカケになったのは、実家にあったVHSの『ウルトラマン』。我が家はテレビゲーム機の導入が結構遅かったので、家での娯楽といえば、同じVHSを何周もループすることだった。
その他我が家のVHSコレクションとしては、『ウルトラマンパワード』、『ウルトラマンG』、平成ウルトラセブンの初期2作品、そしてタイガの父タロウの成長に焦点を当てた映画『ウルトラマン物語』があった。ひたすらこいつらのローテション。
特にグレートは今でも最も愛するウルトラヒーローで、2017年に待望のBlu-rayが発表された時は飛び跳ねて喜んだ。
多分グレートだったら、場面単位で次のセリフをほぼ暗唱できる。それくらい好き。
さて、家にあったVHS以外で観たことウルトラ作品については、まず『ウルトラセブン』は幼少期に父親がVHSを全話レンタルしてきてくれ、一気観した。ただ短期間で詰め込んだので、あまり細部は覚えていない。
他には『ウルトラティガ』上映時がガッツリ世代だったため、リアルタイムで観賞。その後のダイナも流れで観ていたのだが、なぜか途中で辞めてしまってる。(多分その辺から少年野球を始め、上映時間までに帰宅できなくなったんだと思う)
最後に観たのは『ウルトラマンコスモス』の前日譚に当たる映画『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』。親戚の子の付き添いで、という名目だったが、実は自分も久々に登場するバルタン星人をとても楽しみに行ったのを覚えている。
こんな感じでワタシのウルトラマン暦はかなり偏りがある。繰り返しになるが、そこは十分承知した上で本記事のテーマについて書かせてもらう。
ウルトラマンはあまり喋らないでほしい
『ウルトラマンタイガ』1話冒頭は、宇宙のシーンから始まる。いかにも悪い奴感が出たウルトラマンぽい宇宙人を、複数のウルトラマン(ニュージェネレーション?)が追い詰めるシュチュエーション。
ここまではいい。よくありそうな出だしだ。
ただ、ここで大きな違和感がワタシを貫いた。
皆とにかくよく喋る。戦隊モノシリーズかと思うくらいよく喋る。
「もう諦めろ!」
「フハハハ」
対峙した上で、こういった会話がなされるのは100万歩譲っていいとしよう。でも、戦闘中の
「オリャぁ!」
的な掛け声は要らなくない?そこは「ヘァッ!」とか「デュワッ!」とかあのウルトラマンボイスだけじゃないの?
あと、やっぱりさっきの100万歩も取り消させてもらうけど、個人的には第1話の冒頭はあんな風なセリフがなくても、視聴者には何をしているかジェスチャーや雰囲気で十分伝わると思ってる。
大きく見れば「悪い奴がウルトラマン達から逃げてる」→「悪い奴が狡猾な罠にはめる」→「タイガ代わりに参上。先輩達からなんかパワー的なアイテム的なものもらう」→「立ち向かうも力の差は歴然。やられる」→「パパタロウ、大変お怒り」→(以下略)とこんなところだろう。
十分ジェスチャーだけで通じるだろうし、なんとなく今まで観てきたウルトラマンだとここまでキチンと解説めいたセリフまわしはなかったように思える。
ウルトラマンは自己紹介とかしないでほしい
さらに違和感だったのが、タイガ含めた若手(?)のウルトラマンが名乗ったこと。
やっぱり戦隊モノぽい。なんとなくスッパマンも思い出した。その自己紹介ができなくてグレートなんか第1話でエイリアン扱いされて、地球の破壊を目論むモンスターと同じ対処をされかけてたのに。
ワタシは「ウルトラマン」って名称はだいたい地球人側が、なんかよくわからないけど巨人が助けてくれた→どうやら仲間っぽい→なんて呼ぼうか→ウルトラマンってどうだろって流れでつけられるのが王道だと思っている。
ただこの流れはあくまで初代の流れであり、ワタシがその他によく観てる作品(パワードもグレートも)基本は初代のオマージュが強く反映されているからだというのは、認識している。
だからウルトラセブンはどうだったか覚えてないし、ウルトラ兄弟って概念が導入されてからは、名前ありきになってしまったの仕方ないとは思う。
でもやっぱりあんな風に名乗らないでほしい。
ウルトラマンには偉大なる光の巨人であってほしい
やっぱりウルトラマンは地球人からすると、1つ高次元の存在のイメージが強い。巨大で超越的な力を持ちつつ、ピンチの時地球人を助けてくれる。極端な表現をすれば神さまチックな。
そんなウルトラマンには極力人間らしいことはして欲しくない。
もちろん、ワタシが観てきた過去作でも全く喋らないわけじゃない。初代も初めてハヤタと遭遇した時は喋ってたし、パワードもグレートも憑依している地球人と会話するシーンがある。
アレはアレで未知なる存在が地球人とコンタクト取ってくれ、場合によっては地球人と考えが合わずに意見を違えることもあるなど、ウルトラマンがただ無心に地球を助けてくれる巨人ではないと伝わる、個人的には熱いシーン。
でも基本はウルトラマンの思いや考えは地球人が、もっと言うと視聴者が想像する構図であってほしいなと、今回『ウルトラマンタイガ』を観て思った。
この記事の下書きを書いているときに、はてなブログで繋がらせてもらっているRyo(@ryo_nf3000)さんのブログ『僕が僕であること(仮)』で非常にタイムリーな記事があった。
やっぱり思う人は思うんだ、と自分と同じ考えの人がいることに安心する一方で、すでにファンの昔から議論の対象になっていたテーマだったということを知り、改めて自分のニワカ具合に苦笑した。ティガの頃から議論されてるというのだから驚きだ。
自分が時代についてけてないのを、ひがんでいるだけなのかも
散々文句を書いたが、結局のところ自分の勝手な理想のウルトラマン像の押し付けなのかもしれないと思いも少なからずある。
どんなコンテンツとして長ければ長いほど、新しい解釈はどんどん広がっていくものだろうし、それを受け入れられない方がつまらないのかも。
昔、父が仮面ライダー龍騎を観て「最近のライダーは顔が金網みたいだな。バッタ人間じゃないのは仮面ライダーじゃないだろ!」と言っているのを聞いて、ダサい親父だなと思ったのをよく覚えている。
今のワタシはそんな父とそう変わらないのかもしれない。
……。でもやっぱりしばらく慣れそうにないなぁ。
「キミ達、後楽園遊園地でボクと握手!」とイケボで握手するウルトラマンタイガがCMで出ないことを心から願いながら、しばらく本作を見守っていこうと思う。