無機質にアウトプット

読んだ本や観た映画の感想を書いていきます。

noteをはじめてみた話とはてなの「空気」の話

はてなブログ」なのに他のプラットフォームについて書くのは若干反則な気がしなくもないが、今日はnoteについてのお話。

 

GWに入り、前々から気になっていたサービス、noteに手を出してみた。

はじめたといっても、書いたのはまだ以下の2記事だけ。

 

なぜずっとnoteが気になっていたか?はひとつめの記事に書いたのだが、簡単に言えばアフィリエイトアドセンスによるブログの収益化を諦めた今、わたしにとってはシンプルで書きやすいUIを備えたプラットフォームであれば、それで十分だったから。

 

その点noteはわたしのニーズにピッタリで、たしかに書きやすい。「はてなブログ」が不足というわけではなく、十分すぎるという感じだ。

 

もうひとつ理由があって、これはnoteには書かなかったのだが、はてな界隈特有の空気をつかめないことに対する「勝手な」コンプレックスがある。

 

昨今のインターネットでは動画ファーストがトレンドになっているなか、はてな界隈ははてなブログはてなダイアリーに見られるようなインターネット黎明期からあるテキスト文化が強く残っているように感じる。

 

わたしはそのテキスト文化とそのベースにある特有の空気感に強く憧れている。今ちまたにあふれている意識が高いキラキラした文章ではなく、「ネットってのは元々アングラなんだよ」と言わんばかりに、どこか陰湿で無機質、でも秘められた熱意と知性が光る、そんな文章だ。

 

でも憧れているだけで、その手の文書を書けるわけではないし、読んでてもコンテキストをつかめきれていないと感じることが多々ある。書き手は「空気が読める」読み手向けに書いてたりするからだ。

 

多分そういう文書が書ける人、読める人は、たまたま今は「はてな」というプラットフォームを利用しているだけであって、それ以前にテキスト文化にどっぷりハマり続けてきた人間なんだろう。

 

わたしは世代としてはネット黎明期の人間なのだが、残念ながらインターネットをそういう使い方をしてこなかった。Yahoo検索でゲームの攻略サイトを除くのが関の山だ。2chなどのテキストがはびこる場所は、当時のわたしからしても「アングラな世界」だったのである。

 

だから今でこそ、その世界とそこで育まれた空気に触れてこなかったのを悔しく思う。「そんなの気にするなよ。ニコニコしようぜ」って言われればそれまでなのだが、勝手に劣等感を抱くのが得意なのだ。

 

そんな非常に身勝手なルサンチマンに頭を悩ますくらいなら、新しめのプラットフォームを試しに使ってみようと思ったのも今回noteを試してみたきっかけのひとつだ。まぁそううまくはいかず、若干予想していたがnoteにはnote特有の空気があったのだが……。それについて追々書いていく。

 

しばらくは、はてなブログと併用するが最終的にはどっちかに統一すると思う。二重管理はいまいち落ち着かないので。

 

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